フィリッポ・ロッラ

2007年発行 フィリッポ・ロッラ(イタリア美術評論家)の評論文の日本語訳(原文/イタリア語) 2007年発行 フィリッポ・ロッラ(イタリア美術評論家)の評論文の日本語訳(原文/イタリア語)
緒方 良信(おがた・よしん)の大理石彫刻は、彼の奥深い過去の記憶に刻まれた感動を盛り込み、彼自身の運命への探求を映し出している。

未知のことを露にするかのように過去のことが彫られ、新しい明かり、新しい時期のもとに引き戻されたかのように新たに生き始めた記憶。

彼は、自身に大きな影響を与えた幼年時代の記憶を熱く語る。彼は、祖国・日本が水と泥の滴から生まれたという国造り神話に魅了された。

天上の神々が大きな鉾で液体状態の世界を掻き混ぜ、鉾を引き上げると滴が大洋に落下し日本の国をなす島々を形作った。彼は、わずか7歳の時に初めて祖父から聞いた神話を笑いながら、とても愉快に語った。さらに微笑しながら、日本の古い歴史に関わる本を多く読んだり、それについての多くの絵を見たりしたともいう。

彼は、もう一つの彼の人生の重要なエピソードについて語っている。

ある日、学校で美術の教師からロダンの彫刻が載った本を見せられ、それらの写真にとても感銘を受けて、「私も彫刻家になりたいと」と呟いた。17歳でまだ将来について、はっきりとした考えを持っていない時だったが、官能的で強い形態を持つロダンの彫刻は彼に奥深い影響を与えた。それはほとんど彼の芸術的将来の予兆でだった。

成長するにつれて、アメリカ、ヨーロッパにおける遊学に興味を持ち始めた。その旅行の費用を稼ぐため、彼は太平洋そしてインド洋で操業する漁船の船員として働いた。またしても水が、彼の人生の日常の身近なものとして、強烈に印象付けるものとなった。

無意識のうちに、彼は水の色彩、水の匂い・香り、水の動きの中で生活していた。

1970年、充分な費用を貯めた後、彼は彼自身の「大切なもの」を探すためロンドンに向かって旅立った。大英博物館に保存されているヨーロッパの文化やエジプト文明について学んだ後、彼はヨーロッパ中の著名な芸術、文化の首都見学に旅立った。

彼の芸術行脚はヨーロッパだけでなく、大西洋を渡りアメリカ合衆国、マヤ文明に魅せられて中央アメリカ、メキシコと、旅の中でも続いた。

探求と瞑想の時期の後、彼はヨーロッパ、イタリアに戻った。ミラノ、フィレンツェ、ローマに滞在しながら、英国・ロンドンに再び戻った。

もう一つの勉学と仕事の実りの多い時期の後、彼は自由な精神に基づいて、ロンドンで稼いだお金で買った自転車で魅惑的なローマの町まで20日間の旅に出た。

「本当に忘れがたい旅だった。とても素晴らしかった。この20日間、宇宙と一体になった感じがした」と彼は言う。ヨーロッパ、またはアメリカを海岸から海岸へ、列車を乗り継ぎながら、またヒッチハイクをしながら、また自転車をこぎながら走破した。それはまるで、サル・パラディーソのように。

ヒッピーが流行した時期だったが、彼はヒッピーというよりも、旅途上で生きること、生存することを学ぶことに関しては、ビート世代の人々に似ているように思う。

ミラノ、フィレンツェ、ローマでの体験、そして最後(1975年)に卒業したカラーラの美術学校での経験は、彼の潜在能力を最大限に発見した、あるいは引き出した貴重な時期であった。

幼年時代から水と神話、旅に魅せられた放浪する芸術家・緒方良信。
彼のこれらすべての感動の瞬間は、芸術家または旅行家であることから生まれたように思う。
それは、彼の生まれ故郷・宮崎県都城の実家の料亭で、芸者たちが優しく優雅に振る舞う芸術的・官能的なもの、それが彼の自由精神をここまで作り上げた起因となっているのかもしれない。
 
フィリッポ・ロッラ